
「あらゆる感情は感傷だ。それは自分自身を慰めるもの、自分の考えを正当化するもの、自分の想いを理想化するもの。心の中にあるのは欲望だけで、なにもない」
「でも、人は自分を省みる事ができる。自分が間違っている事を認める事ができる。自分の心以上に、世界というものが存在する事を認める事ができる。それはただの欲望ではないのではないのでしょうか?」
「世界が美しいと思うのも、“自分が”世界は美しいものであると思いたいからだ」
「人が、自分自身を必要以上に攻撃し傷つけるのも、その人が望んだ事なのですか?」
「自傷ですら結局は感傷だ。自分以外に価値を置けば、必然的に自分自身の価値は少なくなる。自己嫌悪をするのは自身が理想とする世界に押しつぶされそうになるからであって、本当に自分が嫌いだからではない。世界の方に重きを置くのは当人の勝手であり、要求だ。人間は、すべからく自分の意志で世界と付き合っていくしかない」
「そんな生き方をしてしまう人が、何故いるのでしょうか」
「まじめな人間ほど世界の事を考える。真面目であればある程に、『世界と自分』の間にあるギャップを埋める事ができなくなる。適当にこなす事を良しとしなくなる。真面目に生きようとすればするほどに、世界はそいつを追い詰める」
「そんな場合はどうすればいいんでしょう」
「知らんな。知りようも無い。どの道さ、それは当人の問題なんだよ。一般的な、解り易い、誰でも実行できるそんな回答などまだ在りはしないんだ。その中にある本当の問題は十人十色であり、その解答もまた三者三様。人間、この個体が世界との間にある溝を埋める為の延々と続ける作業こそが、生きるって事だ」
「酷く陳腐な話ですけどね」
「陳腐で無い人生論など聞く価値は無いよ。突拍子も無い人生論を聞いて何を得られると言うのだい。輪廻転生? 前世? 来世? スピリチュアル? 実に突拍子も無い。それはただの“救い”であって“人生の解答”じゃない」
「救済を得られるならばそれでもいいんではないのですか?」
「救って欲しければ救済してもらえばいい。ただ、救済を得る事と、人生を生きる事は別物だと言う事さ」
「そう違わないような気もしますけれど……どうなのかなぁ」
「救済されたければ爆弾を抱えて敵地に飛び込めばいいんじゃないか? それとも100万円の壷を買うか? 毎日礼拝を欠かさなければどうだ? 好きにしろ。それでお前の心が満たされるならば“しかたがない”」
「しかたがない、ですか」
「他者から与えられた命令をこなすだけで自分の価値を見出せるのか。与えられた救済を持ってお前の人生は完結するのか。それは本当に、お前がやるべき事だったのか。……自分の価値を自分で見出さないならば、そんなものは動く屍だ。神? 預言者? 残念ながら私は“理性論者”であって神だのなんだのって話には興味が無いんだ」
「理性論者……ってなんですか?」
「考えろ。考えろ。考えろ! この1500gの脳髄が全ての答えを導くまで考え続けろ! 魂とは!心とは!感傷とは! 遍く意味をこの理性で持って指し示せ! 信じるにたるはこの脳髄で、信じるべきはこの理性だ! 突き詰めろ、突き詰めろ、突き止めろ! お前が生きる意味を! 自分が生きるべき意味を! 残すべき存在を!
────お前は今、何を考えている?」
「…………普通に引いてます」
「まぁなんだ、感情ってのはコントロールが難しいんだ」
「感情的になって言葉を巻き散らかすから収拾が付かなくなるんですよ」
「嗚呼、そいつは全くごもっともで」
何も考えずに文章は書くもんじゃない。



